青森にUターンをして5年が経ち、この5年間、青森において市民活動を続けてきました。

ここでは、その5年間を踏まえ、岡田実穂自身が市民活動家としてやってきたことを振り返っていこうと思います。

そして、そこから学んだ「希望」の話をしようと思います。

 

市民活動に関わり出して、ちょうど15年が経ちます。

高校を卒業してからの日々を私はずっと、「市民活動」に費やしてきました。

ベースにあるのは、子どもの頃に読んだ「憲法前文」です。固いイメージもあるかもしれませんが、私はこの憲法前文が好きです。

 

特にこの部分。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

 

様々な市民活動をしてきました。性暴力サバイバーたちの権利擁護活動、LGBTIの権利擁護活動、セックスワーカーの権利擁護、被差別部落におけるまちづくり、非行少年と言われる若者たちの社会復帰サポート、一人親家庭へのサポート、東日本大震災後の被災者サポート、貧困の中にある人、社会の中で障害を持つ人たちのサポート、そうしたことを何故してきたのかというと、「理不尽だから」だと思っています。

この社会の中で生き辛さを抱えている。弱者という言い方をする人もいるけど、「弱者性」はそこにいる人たちが持っているものなのではなく、社会から植え付けられたものです。社会は「普通」を尊びます。それが効率的だと思っているということなのか、もしくは、ただ、面倒だからです。

全ての市民を並べて、凹凸があったり、見えにくかったり、そういうことを社会というシステムは関知しません。ただ、平均値を出して、その平均に当てはめたシステムの構築を安易に社会というものはしてしまいます。

結果、凸凹は強引に更地にされて、本来は多様であるはずのこの社会には「平均=普通」とされた人たち以外を、

弱者、

少数者、

と、呼ぶようになってしまいます。

本当は、平均的な人というのは少ないのだと思います。「−10」が10人、「−5」が10人、「0」が10人、「5」が10人、「10」が10人。本当は様々な数字を持っている人がいるのが明確であっても、慣らしたら「平均的には全員「0」です。」ということになってしまう。そんないびつな社会を変えたいのです。

平均が0であっても、社会の中でまぁまぁ許容される人たちは「−5」から「10」の人たち、という認識が社会の中にあれば、「−10」の人たちは置き去りにされます。全体の20%しかいない人口の問題より、他80%が大切だ、と。これが、数字の苦手なところです。分かりやすいからこそ、全てを一般化してしまい、全体像が見えにくくなってしまう。

本当の社会というのは、その全ての人口の問題です。先ほどの20%の人たちが、かならずしも「珍しい人」ではない。社会というのは、あらゆる人たちの積み重なりそのものです。

しかし、その20%の人たちから聞こえてくる声は少ない。平均値から離され、そこには差別や偏見が生まれてしまう。そして弱者や少数者とされる。その中で声をあげるのは大変です。自らが差別/偏見の対象であることを背負うのは苦痛でもあるかもしれません。そして、その20%の人たちの声を聞く社会は、残念ながら醸成されていない。

そこには、「恐怖と欠乏」があると私は思うことがあります。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

 

その20%の人たちの声を聞くために活動を続けてきました。

笑顔を見るよりは、泣き顔を見る事の方が多かったのではないかと思います。時に笑顔を見ることもあって、だけど、その時には私たちの存在はもう必要ではなくなっていることが多いから。だけど、それでいいのだと思います。

 

困った時に困ったよって、助けが必要な時に助けてって言える。そして、それに対応出来る。

私が持てる「希望」は、まさにそういうことです。

 

声を出せない人の声こそちゃんと聞けるように、そして、その人たちの声をちゃんと社会システムに反映させていくこと。生き辛さを抱えた人たちが生きやすくなる。平均的な人という漠然とした人たちじゃなくて、あらゆる人たちに声を上げる機会を均等に。その結果にあるのは、

すべての人にとって生きやすい社会、なのではないかと思っています。

青森を諦めないでいいまちにしたい

青森に来て驚いたのは、多くの人が何の気なしに「青森だはんでの」「青森だっきゃ、どうしようもない」「青森はそういう街だから」と、何か困った時に、青森を諦めている、ということを表明することです。

子どもも、大人も。誰と会っても。

そして「青森ではもう生きていけない」と青森を出て行くひとたちを見送ってもきました。

だけど、その多くの人たちが、青森の自然や、食べ物や、祭り、様々な青森の魅力を語りもしました。

自分の街を諦めないで住む街ってどういう街だろう?そうずっと考えてきました。

「青森はそういう街」みんなが思ってるその部分にこそ、青森のチャンスが沢山あるのだと思います。無いとわかっているものはつくればいい。その為に、青森の「諦めポイント」を集約して、その改善をしていきたいです。

 

多様な生き方のあるまちにしたい

青森市は元々、商業の街、漁業の街、農業の街、生活の成り立ちから言っても、本来実に多様なものです。

だけれども、景気の悪化などを要因として、生業の多様さ自体が均一化されてしまったと感じます。勝ち組、負け組、という言葉もよく聞きます。青森のまちで長く商店を営んできた人が「経済って言って、大都会みたいになっていくことを望んでいるわけじゃなくて、大企業誘致したところで、青森の人間がどれだけ潤うのか?ということ。青森の人間の最低賃金が同じのままじゃ、生活は変わらない。仕事があるかどうかが秤じゃない。生活が豊かになるかどうか」と伝えてくれました。本当にそうだと思います。まちが豊かになるということは、生活が豊かになるということ。そして、選択肢が増えるということ。暮らしが厳しければ、その分、人は多様な暮らしをこの街で継続することが難しくなってしまうのです。

また、暮らしというのは、人それぞれの「生き方」の問題でもあります。LGBTIも、障害を持つ人も、社会生活に様々な困難を抱えている人も、みんなが自分らしく生きられる、その権利をしっかりと守って行くためにも、

多様な生き方を尊重するまちづくり、そして経済の問題を解決していく必要があります。

困難に寄り添うまちにしたい

困った時に、どこに頼れるのか。縦割ではなく、それぞれの生活者に寄り添った支援体制が必要です。

相談が来るときは問題解決のチャンス。たらい回しにするなんてもってのほか。

支援システムの見直しと、担当課の枠を超えて様々な「人権問題」に敏感になれる職員や行政システムが求められています。

「困難」が目の前にあるということは、決して少しの人たちに起きる出来事ではありません。生まれてから死ぬまでの少なからぬ時間の中で、生涯何も無い平穏な人生、というのはそう多くありません。

どんな時にも、このまちに共にあるすべてのひとのために、動く行政をつくりたいと思っています。

格差・貧困の無いまちに

青森の最低賃金は738円。1日8時間、週に5日、月4週働いたとして、得られる収入は118,080円です。そこから、税金や保険料や年金を引いて、手元に残る金額は…?例えば、その賃金で一人暮らしが出来るでしょうか?青森において、車が無ければどうしても行動に制限がかかってしまいます。公共交通機関も、便利とは言えない状況ですし、値段も安くはありません。また、冬期の光熱費もどうしても高くなってしまいます。

一人暮らしの人、一人親を含む子育て世帯、働いても働いてもお金が足りない、ということから、ダブルワーク、トリプルワークをこなす人も少なくはありません。働いても働いても楽にならない。

憲法にはこう書いてあります。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。果たして、私たちの青森での生活は、この権利に達しているのでしょうか。

生活が厳しい!この現実を、しっかりと、県に、そして国に伝えていかなければいけません。

そして、仕事をしていてもしていなくても、すべての人が健康で文化的な生活を出来るようにしていく義務が、行政にはあるということを訴え続けていきます。

子どもを孤立させないまちに

諦めを持つまちに、子どもたちは希望を持てません。

多様な生き方のないまちに、子どもたちは希望を持てません。

困難に寄り添わないまちに、子どもたちは希望を持てません。

格差・貧困のあるまちに、子どもは希望を持てません。

子どもたちが希望を持てるまちをこのまちに作っていかなければ、青森に希望がありません。

いじめもそう、子どもの貧困もそう、ひきこもり、不登校の問題も、大人がつくる社会の中でのひずみが生み出したものです。

子どもたちの声を聞くこと、そして、子どもたちが暮らす社会をより良いものにすることは大人の責任です。

保護者が過剰な労働を強いられる中では、子どもたちの安全・安心は保たれないかもしれない。その労働の中でも、しっかり利用出来る制度や、子育てを共に担う社会がなければ、今の社会の中で子どもを産み育てるというのは大変なことだし、そして、「青森で子どもを育てたい」と思う人は少なくなってしまう。

大人たちだけで考える子育て支援では限界がある。大人たちだけで考えるいじめ対策では限界がある。私たちは、子どもと共働してつくる社会をつくっていきたいです。そして、その子どもの近くにいる大人たちが、一人で抱えこまないでいいまちをつくっていきたいです。

災害対策のあるまちに

青森は日本でも有数の豪雪地帯です。青森での災害対策は、やはり雪の問題を無しには語れません。また、青森県は核燃施設を有するまちです。原発、核燃施設についても、決して避けて通れない問題です。そして、青森は海に面するまちです。津波などの被害についても、しっかり考えていかなければなりません。

今の日本の中で、「災害がないまち」という定義はどの自治体に置いても無理な話でしかありません。さまざまな災害、自然災害も、人為的な災害(例えば原発事故)も、可能性が無いなどとは言えないのです。しかし、それらを市民レベルで話し合われているかというと、残念ながらそうではありません。

地域ごとに、災害時の対策というものは変わってきます。例えば、避難所の問題でも、その地域のすべての住民が避難出来る避難場所を確保出来ている自治体はありません。全ての人が、ということは考えられていない。

避難出来なかった人に渡せる支援は何なのか、また、医療体制はどうなるのか、そして、その際に世帯単位だけではなく、それぞれの暮らしを尊重した避難の仕方をどのように運用していくのか。

例えば、障害をもった人たちにとっての避難とは?家庭内において暴力被害にあっている人たちの避難は?同性のパートナーを持つ人たちは?トランスジェンダーは?高齢者の避難、子ども、特に乳幼児の避難、それぞれに対策も必要になってきます。また、避難場所におけるその運用についても、多くの問題があります。

避難をする際、どう地域で助け合えるのか、安全な道順はどこなのか、地域毎に、その地域に暮らす人たちが知っていなければいけないことも沢山あります。

それらのことを、行政だけで決めることは不可能です。より地域密着の中で、しっかりとまちの人達の声を反映させて災害対策は打ち出して行かなければ、いざという時に「使えるもの」は出来上がりません。